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2012年10月21日日曜日

佐倉コスモスまつり&環境体験フェア&Eボート大会&吉植庄一郎の挑戦 ~印旛沼~


印旛沼を開拓した吉植 庄一郎!!


佐倉市は、観光政策の施策としてふるさと広場を四季を通じ花で観光客を
呼びこむ佐倉フラワーフェスティバルを開催しています。

10月20日 土曜日 印旛沼・佐倉ふるさと広場はコスモスまつり&第10回印旛沼流域
環境・体験フェア&Eボート大会とおおいににぎわいました。
 天気にも恵まれ、盛りあがりました。
 
 ところで、吉植庄一郎 氏をご存じですか?息子の吉植 庄亮 氏は話題になりますが・・。
佐倉の政治家と言えば、私の主観ですが、現在代表されるのは、蕨和雄・奥野総一郎
西田三十五・大野ひろみさんが代表されますが、歴史をさかのぼれば、初代 佐倉市長 
木倉和一郎 氏 と印旛沼の発展に寄与した吉植庄一郎 氏だと思っています。
 佐倉市も印旛沼をかたる時、吉植庄一郎 氏が明治時代、水との戦いを政治家として
救ってくれた実行力一度、学ぶ機会を、佐倉学などで検討することを提案します。

リンク




コスモスまつり

   第10回印旛沼流域環境・体験フェア

ゆうなみ&うささき が印旛沼ソングを披露!!




印旛沼観光というわりには、皆さんで考えましょう。


 観光を打ち出していて、トイレは360℃の大パノラマ!!
改善しなきゃいけません!!必要なのは、おもてなしのこころ!!
観光には、トイレの対策も必要!!

11月議会で取組みます!!






息子 吉植 庄亮 氏 経歴 [編集]
1884千葉県印旛郡で生まれる。1893に父の庄一郎開墾のために北竜村に移住したため別居し、祖父の庄之輔の元で育てられた[1]第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学経済学科1916に卒業後、父の経営する中央新聞に入社して新聞記者となる。また1906金子薫園に師事して歌人となり、1922に雑誌『橄欖』を創刊。庄之輔が逝去した後は祖母とともに印旛郡で数年間を過ごし[1]1925から10年間で印旛沼周辺に60町歩595,041m2)の土地を開墾し[2]1941の『開墾』などでこれを歌に詠んでいる。当時としては画期的な大型トラクター導入による農業の機械化や有畜農業を進めた[1]
1936衆議院選挙立憲政友会から出馬し、当選して衆議院議員となる。戦後公職追放を受け、農地改革により所有する農園を失った。1949には農村を現地視察したカール・シャウプを案内し、シャウプ勧告に実情が反映されたという[3]。その後、印旛沼・手賀沼の土地改良区設立運動に携わった[1]1951に追放解除を受け、1958127食道癌のため関東逓信病院で逝去[4]正五位三等瑞宝章が追贈された。1973には、郷土を代表する歌人として千葉県文化会館歌碑が建立された[5]

以上 佐倉市議会議員 高木大輔 の印旛沼及び佐倉の政治家に対する思いでした。

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