佐倉を「こどもが住みたいまち お年寄りが住み続けたいまち」にしたい! みんなさんの声を力に「活気あるまちにしたい!」 高木だいすけは、日々問題意識をもって佐倉市政、佐倉の情報、佐倉で活躍するひとなど紹介し情報発信することに取組んでいます。 当ブログでは、高木だいすけの活動報告や様々な思いを情報発信しています。
ページ
▼
2013年8月12日月曜日
69名の戦火に散ったプロ野球選手 ~野球ができる幸せをあらためて考える~
8月15日に終戦の日をむかえます。現在、甲子園球場では高校野球が行われています。また、8月、夏は平和について考える季節でもあります。先日、平和教育の一環として、語りべとして戦争で亡くなったプロ野球選手を取材して「戦火に散ったプロ野球選手」をこどもたちにかたり掛けている山田雅人さんの話しを聞く事ができました。プロ野球選手で第二次世界大戦で亡くなった方は、伝説の大投手 沢村栄治さんをはじめ69名いるそうです。戦地では、優れた運動能力がわざわいして戦場の第一線で戦ったそうです。今、平和に野球が普通にできる喜びを噛みしめながら、現在の政治のあり方、平和教育のあり方について疑問を持たなければならないし、間違っている事は、正す議員活動に取組まなければなりません。また、明治42年に佐倉に歩兵57連隊が組織され以来昭和20年(1945年)8月15日まで、千葉県一円を徴兵区と定められ、名実共に房総健児練武乃地であった。この間、西南、日清、日露、欧洲大戦、関東大震災、日支事変、大東亜戦争と数多く乃国難におもむき常に師団最強の部隊として郷土の信頼にこたえた。本連隊乃主力は、昭和11年乃2.26事件以来満洲に移駐し、同19年7月まで、孫呉において、ソ満国境の警備に当たったが、同年11月フィリッピン乃レイテ島に転進し、宮内連隊長の下、物量を誇る米軍と50日にわたり激戦し玉砕した歴史がある事も忘れてはいけない!!
以上 高木大輔からの報告でした。
0 件のコメント:
コメントを投稿