4月25日 宮城県南三陸町、女川町に訪問し佐倉市志津地区として
継続的・発展的な復興支援を約束して来ました。
今後、何をしてほしいのか?何が必要なのか?コミニュケーションを
取り確認しあって最善の支援を行います。
南三陸の瓦礫 |
海辺に放置してある車から海にガソリンが流れ、ようやく再開した
わかめ漁に影響が出てきます。
南三陸防災センター |
①南三陸町の託児所を訪問
~南三陸ホテル観洋託児所マリンパル~
7月7日 山田雅人 かたりの世界 で配布する、ふんばろう東日本支援プロジェクト
のハンドメイドプロジェクトの皆さんと会い意見交換致しました。
「普通の生活がしたい!!」
「仕事帰りに買い物する小売店がない」
「若者が遊ぶ場所が無い!!」
との声を聞く事ができました。
佐倉のイベントでハンドメードプロジェクトを支援!! |
校庭に水仙の花が咲いていました。 |
花が無くなるまちになる、今は、チューリップもほしいとの話しもありました。
②志津川中学校を訪問
佐倉市立志津中学校が交流している志津川中学校を訪問しました。
通学路にある車の山 |
AI さんからのメッセージ |
臼井在住の弟さんの高橋さんが南三陸町志津川中学が迎えてくださいました。 |
高台の志津川中学校からの景色 |
支援物資のストック |
菅原教頭に志津中の手紙を手渡しました。 |
③女川第一小学校にある 被災地 放課後学校
NPOカタリバの女川向学館
~代表 今村 久美 さん からのメッセージ ~
女川向学館の桜 |
仮設を抜けて校舎へ |
小・中学校のスクールバスに乗り込む。 |
授業終了後の子供たちの様子 |
授業の様子、学生スタッフが寄り添って指導。 |
佐倉の遠峰君 と 山内教頭 |
職員室のスタッフの様子 |
佐倉からの物資をカタリバに寄付 |
佐倉の産業振興 「ヤマニ味噌」 を寄付 |
郵送前の9箱の段ボール (志津ステーションビル) ↓ |
手にしっかりと渡っていました!!
④最近、私は20後半から刺激を受け、考えさせられる事が多くあります。
カタリバの今村久美さん、ティーチ フォー ジャパンの松田悠介さん、
佐倉南高校 野球部 古谷 健 さん、多くの県議会、市議会議員
日本経済が停滞して頃に育った世代が、日本の教育界・地方自治
を変えようとしています。
彼らの個性、眼の奥の眼力に圧倒されている、自分がいます。
私もしっかりの時代の流れを相対的に見渡して、私ができる事、
彼らのサポートを見出して行動したいと考えています。
今村さんからのメッセージ
早稲田大学 大隈塾 田原総一朗、高野 孟、村田信之 氏
からの言いわたされたメッセージを今村さんに伝えました。
(田原 総一朗 78歳 誕生日会 & 大隈塾 総会 にて)
|
代表の 今村 久美 さんと |
震災以降、宮城県・岩手県に住みながら活動してきた、
代表理事の今村久美さんのメッセージをお届けします。
> > >
カタリバの今村久美です。
私は震災以降、宮城・岩手と東京を
行ったり来たりしながら、生活をしていました。
昨年夏までは避難所で寝泊りしながら、
今は岩手県大槌町のシェアハウスで皆と暮らしています。
コラボ・スクールを立上げるため走り回ってきて、
先週ようやく、中学3年生の高校受験が終わりました。
発表まで、生徒全員の「合格!」を祈って、
ドキドキしながら過ごしています。
この1年間、被災地で子どもたちと接してきて、
嬉しかったことがあったので、皆さんに共有させてもらいますね。
それは、目をキラキラと輝かせながら、将来の夢を話してくれる
子どもたちに、たくさん出会えたことです。
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私たちが立ち上げた「コラボ・スクール」は、
被災地で、勉強する場所を奪われた子どもたちに、
学習指導をする、放課後の学校です。
http://sfml.jp/?c=39903&o=00Q10000005nUPJEA2&v=0f7a24ec
なぜ私は、東北に行こうと思ったか?
もちろん、「可哀想な子どもたちのために何かしたい」
という想いもありました。でも、一番の動機は、
「この被災地で、たくさんのものを失った子どもたちの中から、
10年後に日本を支えるイノベーターが、
生まれてきやすいのではないか?」
そう考えたからです。
たしかに、震災による悲しみは、
子どもたちにとって、抗えない現実です。
私が今、大槌臨学舎で受けもっているクラスでも
26人中7人の生徒が親を失いました。
ふとしたことで、家族の話題になると、
目に涙を浮かべる子どもが、今もいます。
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でも、その悲しみに向き合うのが、彼らの課題でもあります。
この現実を受け入れて、自分自身で乗り越えていく。
そのために私たち大人ができるのは、
彼らに寄り添って、“悲しみ”を“強さ”に変えるための
学習機会をつくってあげることです。
私たちは、コラボ・スクールで「勉強」を教えています。
「何をやろうとしても、力が出ない・・」
震災後は、そんな風に落ち込んだ子どももいました。
彼らが、勉強を通じて「できることが増えた!」
「昨日の自分より、一歩前に進んだ」
そう実感することで、意欲が回復してきている。
学ぶことが、心のケアにもなっているんだと感じます。
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私が今いる大槌臨学舎で、親御さんたちから
喜ばれていることがあって、それは、
全国からボランティアさんが1週間単位で来てくれて、
代わるがわる勉強をサポートしてくれることです。
生徒たちは、「はじめまして」「ありがとう」、そして
「さようなら」を、たぶん日本で一番多く言う子どもでしょう。
コミュニケーション能力は、確実に育っているし、
なにより、震災前なら出会うことのなかった職業の方々、
大学生たちと勉強の合間に話すことで、
これまでは身近でなかった、広い世界を見通しながら、
大きな未来を、思い描きやすい環境が整ってきています。
子どもたちが、震災の悲しみを乗り越えるのに伴走し、
かつては与えられなかったチャンスを提供することで、
感謝の気持ちと明るさ、そして力強さを持って、
新しいことに挑戦する人が、この地から生まれるだろう。
そんな思いは、彼らの語ってくれる将来の夢を
聞いて、強くなりつつあります。
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「避難所でやさしく励ましてくれた看護師さん
みたいに、将来なりたい」
「福祉の仕事でお年寄りの方々のために働きたい」
「前は保育士になりたかったけど、病院で働く姿がかっこよくて、
震災後、薬剤師を目指すことにしました」
「女川町はこのままではいけない。
自分が女川町を支えられる人間になりたい。」
「ここで集中して勉強して、消防士になる夢を叶えたい」
日本中と比較しても、公共心を持って職業選択を
目指す子どもたちが、本当に多くいます。
私のクラスでも、看護師志望が半分で、
福祉の仕事が1/4、自衛隊希望者も2人います。
“主体性”、そして“公共心”をもった子どもたちが
育っていること。
この事実は、とてつもない被害と悲しみをもたらした
震災の「希望」とも言える一面かもしれません。
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実はこれを始めた当時、「この活動は3年間をめどに
終わりにしてもよいのではないか」と思っていました。
子どもたちが奪われた“学ぶ場”を確保して、
失業した地元の塾の先生たちに、“雇用”を提供する。
地元の方々の独立を支援して、私たちは徐々に
手を引いていけばよいのではないか、と。
でも今、行政や学校、地域の方々、そして全国から集まった
ボランティア、遠くから見守る寄付者の皆様など、
さまざまな立場の人たちの力がコラボレーションして、
今までになかった、新しい教育のカタチが生まれようとしています。
被災地に限らず、この日本では“ナナメの関係”は
不足しています。子どもたちが希望をもって
未来をかたち創るための環境も、十分とは言えません。
このコラボ・スクールは、そんな日本、特に同じ過疎地に、
新しい教育のモデルを提示できるのではないか?
そんな可能性に、胸をワクワクさせています。
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生徒たちが震災という悲しい体験を“チャンス”に変え、
たくましく育っているのを目の当たりにするなかで、
「子どもたちを支える機能さえあれば、
この東北から、誰よりも強く、そして優しい
未来のリーダーが生まれるはず」
この1年間、信じてきたことが、少しずつ
現実へとなりつつある手ごたえを感じています。
資金や人材など、現実的な問題はたくさんありますが、
私は、このコラボ・スクールを3年以上続けたい。
今は、そう思っています。
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もちろん、これはカタリバだけでは、できません。
大事なのは、たくさんの大人たちが少しずつでも
教育に関わってくれるように、
“居場所”と“出番”を用意すること。
ボランティア、寄付、そしてさまざまな形での連携。
これまでたくさんの方々に関わっていただき、
ありがとうございました。
これを読んで興味をもった方は、ぜひWebをみて、
あなたなりの関わり方を考えてみていただければ嬉しいです。
【一人ひとりが参加してできた、被災地の放課後学校】
http://sfml.jp/?c=39902&o=00Q10000005nUPJEA2&v=8f8a33f3
それでは、長文にお付き合いいただき、
ありがとうございました。
今後ともコラボ・スクールを、そしてNPOカタリバを
どうぞよろしくお願いいたします。
今村久美 ~岩手県大槌町より~
出典先: NPO カタリバ ホームページより
以上 佐倉市議会議員 高木大輔 の活動報告でした。
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