佐倉市は幕末に蘭学を通じてオランダと交流していますが、御宿はメキシコを通じて、まちづくりとしても友好なPRをしているものと考えます。
御宿とメキシコの関係について
サン・フランシスコ号漂着事故
1609年9月30日、メキシコへ航海中のスペインのガレオン船サン・フランシスコ号(乗組員373名)が暴風雨によって御宿沖(北緯35.5度[4])で座礁し、岩和田に漂着した(なお、漂着現場は御宿町内だが、太平洋に面する田尻海岸であり、本項でいう御宿海岸ではない[5])。そこで地元の岩和田村(当時の人口約300人)の村民が総出でドン・ロドリゴ総督を含めた乗組員317名を救出し、着物や食料を提供した。このことは大多喜城主の本多忠朝にも伝えられ、事故後37日間にわたり岩和田村民が援助をした。
それから、ドン・ロドリゴ一行は大多喜城を訪れ、江戸幕府2代将軍の徳川秀忠や、駿河にいた徳川家康と謁見し、翌1610年、家康が新たに建造させた船で無事メキシコのアカプルコへ帰航した。日本人が太平洋を航海して他国へ行くのはこれが初めてであった。
1873年には岩倉使節団がこの話を聞かされた。
1928年、漂着現場から1kmほど離れた岩和田の高台に、日本、スペイン、メキシコの交通の発祥地の地として、「日西墨三国交通発祥記念之碑」(通称「メキシコ記念塔」)が建立された。なお、1978年にはアカプルコ市と姉妹都市協定を締結しており、現在もなおメキシコとの交流が続いている。
メキシコ記念塔を含めた「メキシコ記念公園」は「ちば眺望100景」にも認定されており、眼下に御宿市街地と御宿海岸を一望できる。入場料は無料で、開園時間は8時 - 17時(冬季は16時半)。
以上 佐倉とオランダの関係をもっと、具現化していなかいといけないと考え、御宿について調査します。
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