また、佐倉地区には今も地名として当時のなごりが残っています。
今回は、佐倉の産業振興・観光を歴史で発信していく目的で「本町(元町)と
新町の関係について」調べてみました。
中世千葉氏が本佐倉城(酒々井町)を拠点していましたが、手狭になり鹿島城への
移転をすすめていました。その時の城下町・鹿島宿として建設さてたのが現在の本町
です。しかし、鹿島城築城途中で千葉氏が滅び、その後、徳川家康の命令で土井利勝
が1610年に建設途中の鹿島城をベースに築城されたのが、佐倉城になります。
佐倉城の城下町として建設されたのが現在の新町です。
一方、新町に対して、鹿島宿は、元の城下町という事で当時は、元町(現在は、本町
になっています。)と呼ばれる様になりました。
この様な経緯で、現在、本町(元町)・新町と呼ばれいます。
本町にある佐倉順天堂記念館 |
高木大輔の報告でした。
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