私が19年間勤務した明治29年創業 (株)梅澤(本社 名古屋市・現)三井食品(株))は、明治32年のカゴメ(株)設立に取組み戦後までカゴメの販売会社の役目を果たしていました。私はその(株)梅澤の創業者 梅澤岩吉とカゴメの創業者 蟹江一太郎(明治8年産まれ)が「明治時代に西洋野菜に日本の食文化に夢を掛けた」企業文化に魅かれて(株)梅澤に就職しカゴメ(株)の商品、トマトジュースやケチャップ、パスタソース、ソースなどすべての商品を徹底的に販売しました。最近、カゴメ(株)創業者の蟹江一太郎氏が明治時代にどのような経緯で西洋野菜と出合って栽培をはじめカゴメ(株)を起業し、今の繁栄があるのか?考えました。結果、あくまでも、推測ですが、私は、佐倉藩出身で西洋野菜をひろめた津田仙と、現在の厚生園が明治時代、農業試験場であった事もあり、蟹江一太郎が名古屋の陸軍第三師団歩兵第六連隊で西洋野菜と出合ったという資料があります。
資料では「軍隊でも使われ始めていた西洋野菜の栽培を西山中尉から陸軍退役時に「農業をやるなら、洋野菜をやりなさい」と指導を受けたと記されています。また、一太郎は除隊後、1899(明治32)年に名古屋農業試験場の佐藤杉右衛門から西洋野菜の知識を学び、トマトの種子を譲り受けてトマトの栽培を故郷の愛知県東海村でトマト、キャベツ、レタス、パセリ、白菜、玉ねぎなどの西洋野菜を栽培し、(株)梅澤の創業者 梅澤岩吉と出合ったと推測しました。
つまり、「明治時代に、佐倉連隊から名古屋連隊にトマト等の西洋野菜が伝えられたと推測します。」
私が佐倉市議として、食品流通業界の経験を活かし、西洋野菜発祥の地である佐倉で「食のまちづくり」を掲げ取組んでいますが、この取組みは、明治時代の梅澤岩吉と蟹江一太郎の西洋料理への可能性、「農業の6次産業化、農商工連携に掛けた文明開化の思いが私に引き継がれている」と考えると、気持ちが高ぶって来ました。
以上 食のまちづくりの動機づけが出来た高木だいすけの取組みでした。
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