佐倉市立志津中学校
佐倉市立志津中学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐倉市 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒285-0855 |
千葉県佐倉市井野1376番地
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外部リンク | 佐倉市立志津中学校HP |
志津中と言えば、私の中ではいつもご指導して頂いている冨塚議員ですが、今回、議会
の委員会があり冨塚議員が参加できない私が挨拶する事になりました。
の委員会があり冨塚議員が参加できない私が挨拶する事になりました。
志津まつり、ウィンターフェアステバル、3・11の東日本復興支援志津音楽祭など日頃から
交流のある中学校なので、私自身、思い入れがあり、日暮校長先生の最後の卒業式
となるので、心をこめてあいさつを行います。
1947年に開校し、2007年で創立60周年を迎えた。
1947年 - 志津村立志津中学校として開校。沿革 [編集]
- 1950年 - 独立校舎新築移転。
- 1954年 - 佐倉市立志津中学校と改称。
- 1955年 - 校舎増設。
- 1961年 - 新校舎二教室完成。
- 1963年 - 三階建て新校舎落成。
- 1967年 - 校地を拡張する。
- 1968年 - 体育館、校舎竣工。校門新設。プール完成。
- 1973年 - 上志津中学校開校に伴い、2年生が134名転出。
- 1977年 - プレハブ校舎、体育館倉庫完成。
- 1978年 - 木造校舎消失。
- 1981年 - 部室(6部屋)完成。生徒指導研究委託校、JRC研究校となる。
- 1982年 - 生徒指導における県教委指定研究学校となる。
- 1984年 - 生徒指導推進地域に指定される。
- 1988年 - 西志津中学校開設に伴い、1年が126名転出。体育館の改修が始まる。
- 1992年 - パソコン室完成。
- 1993年 - 給食室完成。教室増築竣工。学校給食開始。本館前舗装工事、本館改修工事が始まる。
- 1996年 - 防災備蓄倉庫設置。
- 1997年 - 校章決定、校旗寄贈。
- 1999年 - 文部省より教育課程の研究指定を受ける。志津中愛唱歌完成贈与。
- 2003年 - 門扉改修。防災設備修理工事完了。
- 2004年 - プール改修工事完了。
- 2011年 - 体育館完成。[1]
住所 [編集]
- 〒285-0855
- 千葉県佐倉市井野1376
交通 [編集]
駐車場のスペースがあまりないため徒歩での来校が推奨されている。
志津中五本柱 [編集]
志津中学校には志津中五本柱というものがある。
- 一:あいさつをする
- 一:清掃を一生懸命にやる
- 一:人の話を聞く
- 一:時間を守る
- 一:歌声を盛んにする
全校目標などは、概ねこの方針を考慮される。
部活動 [編集]
現在同校には下記の16(種類は14)の部活動がある(括弧書きがないものは男女共同で活動、
コンマ分けは別部制)。
運動部
- 陸上競技部
- バスケットボール部(男・女)
- 剣道部
- ソフトテニス部(男・女)
- 水泳部
- バレーボール部(女子のみ)
- ソフトボール部(女子のみ)
- バドミントン部(女子のみ)
- 野球部(男子のみ)
- サッカー部(男子のみ)
文化部
- 吹奏楽部
- コンピュータ部
- 美術部
- 家庭科部
近況 [編集]
- 2009年 体育館の建て直しが決定し、佐倉中学校校舎建替えと併せて319,346,000円が予算計上されている(「佐倉市平成21年度当初予算 予算概要」より)。尚、この建替えの為、例年9月に行われる体育祭が2009年は5月30日に変更されている。
- 2011年 東日本大震災に伴う耐震工事が開始される。
卒業生 [編集]
脚注 [編集]
- ^ 佐倉市立志津中学校ホームページhttp://www.catv296.ne.jp/~shizu-jh/より
ふるさとを創る覚悟!!
志津川中学校との交流!!
南三陸町立志津川中学校より
お礼の手紙が届きました
志津川中学校は、3月11日午後2時26分には308名が卒業式の準備をしていたそうです。
当日早退者や欠席者が7名おり、安否確認に一週間かかりはしましたが、3月18日に315名の
在籍生徒全員と26名の教職員全員が無事だったことが確認できこの上ない喜びだった、と書かれ
ていました。電話でお話をしたところ、志津川中学校は、高台にあったことが幸運であったと言わ
れていました。しかし、2人に1人の生徒が住居を失い、13名の生徒が父母のいずれかを亡くし
たそうです。
平成23年度一学期の始業式を5月10日に行い、入学式を2日後の5月12日(日本で一番遅
い?)に体育館が避難場所になっているため多目的ホールで行ったそうです。ここで、その始業式
で3年生の代表としてこの年にかける思いを発表した生徒の作文を紹介いたします。
3月11日、僕たちの町、南三陸町は東日本大震災にみまわれ、大津波にあいま
した。町は大きな被害を受け、家がほとんど流され、津波によって亡くなられた方
々もいます。僕も家をなくし、大切な家族を失いました。とてつもない無力感が心
の中に残りました。それに、家を無くし他の地域に引っ越していった仲間たちと、
とても悲しい別れをしました。僕と同じ境遇の人達もいると思います。震災は起き
たときの恐怖とともに後遺症を残します。ふるさとに住めないつらさ、友人やいろ
いろな人との別れ、そして、変わり果ててしまった町の様子、いろいろな悲しみを
津波は残しました。しかし、そんな中でも支えてくれる人たちがいます。全国各地
から来ていただいている自衛隊、警察、お医者さん、ボランティアの方々や様々な
支援物資を送って下さる方など、多くの支援や善意に囲まれて生活しています。そ
れに、世界各地からも支援されています。その方々によって僕たちは命を繋げるこ
とができたのです。これからは、僕たち若い世代がこの町を復興させていかなけれ
ばなりません。僕たちは、できることをしっかりと行い、支えてもらった人たちの
ご厚意に報いるように生活しなければいけないと思います。僕は、今年生徒会の一
員として、学校の活性化につとめていきたいと思います。そして、昔の南三陸町のよう
にはいかなくても、あの住みよい町になるように復興に力を注ぎたいと思いま
す。僕たち3年生にとって、今年は特別な1年になります。勉強、部活動、行事全
てが今まで通りにはできないでしょう。でも、不平ばかり言っていてもしょうがな
いのです。こんな時だからこそ、互いに協力し合い、よりよい学校生活をめざして
いきたいです。そして、最上級生として後輩をリードし困難を乗り越え、人間とし
て成長していけるように努力していきたいと思います。
(全文掲載)
写真集の記事の中に何度も出てくる言葉がずっしりと心の奥底に残っています。それは、『記憶
後世へ』。被災された人たちの将来への一番の不安は、時とともに人々の心から震災が風化してい
くことだ、と聞きます。私たちは共に生きる生き方を、また、いつまでも記憶にとどめていく努力
をしていかなければならないと思います。
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