佐倉藩11万石について
山形藩 飛び地 4万石について
堀田永久稲荷神社
柏倉家住宅概要: 柏倉家住宅は江戸時代に山形城下の大庄屋を勤めた柏倉九左エ門の宅邸です。柏倉家の祖先は柏倉の武士でしたが最上家が改易になると土着してこの地に移ったとそうです。その後山形藩を治めた堀田氏は柏倉家を大庄屋に取立て、周辺地域に影響力を持つようになりました。江戸時代中期以降は紅花や青苧などで財をなし多くの田畑を手に入れ6700石を領したとも云われます。敷地面積は約4000坪、建坪360坪の大豪邸で、主屋内部には21帖の広さを持つ「仏蔵」が取り込まれている特殊な構造をしています。庭は小掘遠州流の流れを汲むもので豪農建築の骨頂を見る事が出来ます。
堀田家(正仲の双子の弟・正虎)が福島藩より再入封する。3代46年間(山形藩では2番目に長い期間)在封し、延享3年(1746年)下総国佐倉藩に転封した。この際、柏倉4万石が佐倉藩の飛び地(柏倉陣屋)として廃藩置県まで残った。
堀田家について
堀田氏について
【佐倉堀田家系図】
正盛─┬─正信─正休─・・・ 【宮川堀田家】
└─①正俊─┬─②正仲
├─③正虎─正直─④正春
├─正高─・・・ 【佐野堀田家】
└─正武─⑤正亮─┬─⑥正順─正功─⑧正愛
└─⑦正時─⑨正睦─⑩正倫─⑪正恒─⑫正久─⑬正典
正盛 1642松代より佐倉11万石に入封。1651家光に殉死。1660子正信の代に改易。
①正俊 1681古河9万石城主、大老。1684従兄弟に刺殺される。
②正仲 1685山形へ転封。
⑤正亮 1746山形より佐倉9万石に入封、後10万石に加増。
⑨正睦 外国掛老中。井伊直弼と対立。
⑩正倫 最後の藩主。後に伯爵。
⑪正恒 鍋島家より。
⑫正久 昭和34~50佐倉市長。
⑬正典 現当主。
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