ページ

2013年1月31日木曜日

第2回 東日本復興支援 志津音楽祭 ~3月10日 日曜日 0時スタート ~

 3月10日 日曜日 0時スタートで、「第2回 東日本復興支援 志津音楽祭」を開催します。
志津駅南口商店会が企画し「佐倉市街中にぎわい推進事業」として開催します。
 昨日まで、志津ウィンターフェスティバルののぼり旗から 東日本復興支援
志津音楽祭のテーマ「復興の力になろう!!」に変更しました。
 2月上旬には、出演者が決まりポスターが完成します!!


のぼり旗を変更


以上  佐倉市議会議員 高木大輔 からの報告でした。

2013年1月30日水曜日

マイタウン商店会から横断歩道を設置できないか?調査をYoutubeにまとめました。 





 水道道路にあるマイタウン商店会から、交通量が多く、上志津小学校入口の
信号から次の横断歩道まで距離が長いため、無理に横断する人が多く見うけ
られます。
 志津霊園問題も解決に向かっており、今後、更なる交通量が見込まれます。
 今のうちに、対策を検討する必要があると考えています。

水道道路にあるマイタウン商店会から要望をYoutube ←クリック


以上  佐倉市議会議員 高木大輔からの報告でした。

JR佐倉駅街頭活動の様子をYoutubeにしてみました。 ~2月議会に向けて~



JR佐倉駅 街頭活動 ← クリック





 1月30日水曜日 JR佐倉駅での朝の街頭活動をYoutubeにまとめました。
街頭活動では、2月議会の取組みについて、駅の活用について、実際、駅を利用して
いる、佐倉都民の方の声を聞きたくてアンケート形式で、広くご意見を求めるために
行いました。
 佐倉市の定住人口の確保には、駅の利便性を高める政策が必要と、私は感じて
いるので「佐倉都民のため」の取組みについて、現在、調査。研究をすすめています。


以上  サラリーマン生活19年、佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。




2013年1月29日火曜日

城下町交流!!犬山市議会議員 中村貴文 先輩に尾張犬山藩と佐倉藩の関係を調査を依頼

  先日、書いたブログに引続き、土井利勝の前の佐倉藩藩主。尾張犬山藩から入封
した小笠原秀次(1606年~08年)について、佐倉での調査とあわせて、犬山高校
野球部の大先輩でいつも相談にのって頂いている。犬山市議会議員の中村貴文先輩
に犬山市での調査を依頼しました。
 昨年、歴史文化の取組みとして、上志津八幡神社と天御中主神社を佐倉市民文化
資産選定に取組みましたが、一定の成果が出たので、今年は、尾張犬山藩と佐倉藩
の関係を調査・研究し何か形にしていく事に致しました。

 佐倉藩は、山形藩との交流があり、佐倉11万石のうち4万石は山形藩にあるなど
佐倉城下町400年記念事業を記念して佐倉市内に目を向ける他に、佐倉藩と関係
のある土地についても調べ交流する事も大切な事だと考えています。

 という事で、今年は、城下町交流をテーマに「尾張犬山藩と佐倉藩の関係」
を徹底的に行います。


犬山市議会議員 中村貴文 先輩と 犬山市役所にて



以上  歴史を知って、現代に活かす、佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。

園児が政治に物申す!! ~雪で幼稚園が休園、お守りをする事になり、次女との行動をYoutubeにまとめました。~





 1月28日、今年2度の積雪により、次女の通う幼稚園が休園となりました。
 急きょ、私がお守りをする事になり、予定されていた、衆議院議員議員
奥野○一郎事務所の定例会に同席する事になり、園児として、国政に
要望を訴えました。その、訴えとは・・・?
 その模様を、Youtubeにまとめました。

果たして、園児が国政に要望したこととは・・・・。←クリック

答えは、Youtubeの中に・・・・。

以上 声なき声を議会、国政に要望していく 佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。

2013年1月28日月曜日

四街道市議会議員 最年少29歳 鈴木陽介 新春のつどい~佐倉市と四街道市の問題として、物井駅から佐倉に抜けるのに道がない~



 1月27日 弟分の四街道市議会議員 最年少29歳 鈴木陽介  新春のつどい
に参加しました。
 鈴木議員とは、連携して航空機の騒音問題やソーシャルメディアを活用した
情報発信、各しにおいての定住人口の確保について、また、民主党千葉県連青年委員会
の一員として取組んでいます。
 私と一回り12歳違いますが、今後、どうのような成長していくのか。
 注目し、見守って行きます。
また、佐倉市と四街道市の問題として、物井駅から佐倉に抜けるのに道がないため
非常に不便なので、佐倉の山王地域の利便性の向上にも取り組んで参ります。
昨日の会の模様をYoutubeにまとめました。奥野総一郎、高木大輔の挨拶を
アップしてあります。
 
鈴木陽介 新春のつどい ← クリック




以上 佐倉市の発展は四街道との連携なしでは、達成できないと実感している
佐倉市議会議員 高木大輔の思いでした。

2013年1月26日土曜日

第85回選抜高校野球大会 高木大輔が注目するは、55年ぶり出場4回目出場の熊本県立済々黌高等学校

昨年の夏の大会に引続き、甲子園に熊本県立済々黌高等学校が戻ってきました。
夏の大会では、優勝した大阪桐蔭高校に敗北しましたが、文武両道の熊本屈指の
進学校であり、歴史のある高校でもあり、野球も高校生らしくエンジョイベースボール
さわやかな印象を私はもっています。また、濟々黌と佐倉高校と歴史的にも似ている
イメージもあります。
 「佐倉から甲子園出場校」の取組みもありますが、全国の特色ある学校を注目する
楽しみも高校野球観戦の楽しみでもあります。


熊本県立済々黌高等学校とは、
ホームページで調べました。



学校名は、「詩経」の一節「濟濟たる多士、文王以て寧んず」から採られている(「黌」は「学校」を意味する)。そのため卒業生を「多士」と呼び、現在でも「校長」を「黌長」、「校門」を「黌門」などと表記する伝統がある。「済済黌」、「濟々黌」とも表記する。ちなみに黌長印には「熊本県立済済黌高等学校長」とある。「黌」は非常に画数の多い難字であり、野球部が甲子園に出場した際、甲子園球場のビジョンに映し出される「本日の試合結果」の校名表記が第3試合までゴシック体表記だった時代(1984年~1992年)に「済々こう」となっていたことがある(明朝体による表記は可能)。
教育方針
現在、以下の「教育方針」が定められているが、いずれも明治以来の「三綱領」「八条目」がベースに存在している。
建学の精神である「徳・体・知」の三育併進に努め、逞しい気力と体力を養い、真の文武両道の実現に努める。
基本的生活習慣を確立し、自主性、自律性の涵養に努める。
適切な教育計画のもと、能力・適正に応じた進路指導を重視し、志望を達成する実力を養う。
情操豊かな人間性の陶冶に努め、社会に適応できる人材を育成する。
知的好奇心の発揚に努め、コミュニケーション能力の育成を通じて、思いやりの心を育てる。
三綱領


三綱領
正倫理 明大義(倫理を正しうし 大義を明らかにす)
重廉恥 振元氣(廉恥を重んじ 元気を振るう)
磨知識 進文明(知識を磨き 文明を進む)
1882年(明治15年)制定。「校訓」ではなく「主義」「決まり」であるとされ[1]、全校集会、式典などの際に全員で唱和されるものである。
第二次大戦後GHQの軍政官による視察が行われた際、この「大義」の解釈を巡る質問があり、ここで国家主義的思想と判断されれば三綱領の破却は免れないと咄嗟に判断した当時の黌長杉原春作と通訳とによる機略で「Great Social Service」(社会福祉あるいは社会奉仕の精神)と説明、その場をやり過ごしたというエピソードが伝えられている。

野球部は1958年(昭和33年)の第30回選抜高等学校野球大会での優勝を経験(熊本県勢唯一の優勝)。

以上 元高校球児 高木大輔からのお知らせでした。

佐倉藩と尾張犬山の歴史的関係 ~最後の本佐倉城主は、尾張犬山からの小笠原秀次(1606~1608年)~



犬山城天守閣

私の人間形成において、大きな影響をもたらしているのが、愛知県立犬山高校での
3年間、平成初代生徒会長、野球部、犬山城築城450年記念事業参画などと、幾つかの
恋愛に熱く、真剣に取組んだ高校生活があったからこそだと思っています。
 「伝統校の自由な校風の中で紳士、淑女であれ!!」と潜在的に叩き込まれました。
 さて、佐倉藩と、尾張犬山の関わりが歴史的にある事を紹介します。
 現在、国宝の城として木曽川に君臨する犬山城。
 その犬山城を近世城郭にまで成長させ、城下町も整備したのが、小笠原秀次です。
 犬山城の整備後、1606年~1608年まで、佐倉藩藩主(1606~1608年)として、佐倉の
藩政を行いました。
 その後、佐倉城下町400年記念事業として、現在の佐倉城址を1610年~1617年まで
の月日をかけて、現在の佐倉のまちの骨格を築いた土井利勝が佐倉の藩政を引き継い
でいます。

 そんな、歴史を噛みしめながら、現在、「尾張犬山の野武士」ときには、「尾張犬山の
足軽」として私は佐倉市政に取組んでいます。

 機会があれば、佐倉の歴史において、土井利勝や堀田様ではなく、尾張犬山 小笠原秀次
 の企画を「佐倉城下町400年事業」として実行するのが私の仕事であると自覚しています。
 

以上  尾張犬山の野武士 高木大輔 からの報告でした。


以下 詳細資料として参照してください。

小笠原秀次 ←クリック
 
本佐倉城  ←クリック

佐倉藩 (HPより 出典)

武田(徳川)家→松平家→※小笠原家→土井家→石川家→松平(形原)家→堀田家→松平(大給)家→大久保家→戸田家→稲葉家→松平(大給)家→堀田家
佐倉藩は、前半は、老中・大老となる幕格の中心人物が入封し、罷免されたり、致仕、失脚すると移動していく、という位置の重要な藩である。

家康は関東入りに際して、五男の①武田信吉を佐倉に4万石で配置する。信吉が常陸水戸に移ると、六男の②松平忠輝が5万石で入るが、信濃川中島(松代)へ。

③小笠原秀次が尾張犬山より入って、常陸笠間へ。

下総小見川より、老中となった④土井利勝が3万2千石で入って、幕閣の重鎮として累進を重ね、相次いで加増され14万2千石を領するに至る。下総古河へ転出。

豊後日田より⑤石川忠総が7万石で入り、近江膳所へ。

摂津高崎より⑥松平(形原かたのはら)家信が4万石で入り、次の康信が再び摂津高槻へ戻る。

信濃松本より、⑦堀田正盛が11万石という大封を得て入るが、家光に殉死。子の正信は幕政に不満を抱き、佐倉に無断帰城したため、除封。配流地の阿波徳島で将軍家綱の死を知って自殺。

上野館林から⑧松平(大給)乗久が入るが肥前唐津へ。

同地肥前唐津から、⑨大久保忠朝が8万3千石で入り、老中となって、大久保長安事件以来、不遇を囲っていた大久保家中興を成し、加増の上、藩祖大久保忠隣の最初の封地相模小田原へ復帰。

武蔵岩槻から⑩戸田忠昌が6万1千石で入り、老中となって、7万1千石に加増。次代忠真は越後高田へ。

越後高田からこれも老中の⑫稲葉正往が10万2千石で入り、次代正知は山城淀へ。

同地、山城淀から、吉宗の参謀格の⑬老中松平(大給)乗邑が6万石で入り、子の乗佑が出羽山形へ。

同地、出羽山形から、老中となった⑭堀田正亮が10万石で入封。老中首座をつとめ、1万石加増11万石となる。堀田家の支配で定着。

山形からの移封に伴い、第二次堀田家佐倉藩の領地は、下総の印旛、千葉、埴生、海上、匝瑳、香取各郡のうち、上総の山辺、武射、長柄、夷隅、望陀、市原各郡のうち、さらに出羽村山郡にわたり、城付きの両総地域で7万石、山形分領が4万石あったといい、山形分領にも相当数の家臣を常駐させていた。

幕末の老中、堀田正睦は蘭学を奨励し、佐藤泰然を招いて順天堂を開かせ、学問を奨励する。ペリー来航以降、外国事務取扱の老中となり、ハリスとの日米通商条約締結などで、奔走するが、井伊直弼の大老就任で、罷免、蟄居。堀田正睦については佐藤雅美氏の著作、講談社文庫「開国」~愚直の宰相・堀田正睦~をご一読いただくと当時の幕閣の雰囲気がよくわかり面白い。

ゆるキャラグランプリ全国57位(千葉県内4位) 佐倉城下町400年記念キャラクター カムロちゃんについて


佐倉・城下町400年記念 キャラクター カムロちゃんが登場して3年、
全国の地域活性化のPR活動として、キャラクターが着ぐるみ化したり、
グッズを制作したりされています。
 11月議会で、カムロちゃんの活用について一般質問しましたが、
キャラクター認定3年目になり、今年は、勝負の年だと私は考えて
います。昨年は、ゆるキャラグランプリ全国57位(千葉県4位)でしたが、
市民で盛りあげて上位進出を戦略をたてて取組むサポートをしたいと
考えています。
 今、聞いているのは、市内の舞踊団体から「カムロちゃん音頭」をつくる
など、水面下で様々な動きがあります。
 カムロちゃん、グッズも佐倉市美術館内の「てのひらごよみ」さんが
品揃えを充実させ、ツィッターやホームページで販売をしています。
 カムロちゃんの全国区とあわせて佐倉市の観光業の受け皿の充実が
求めらていると感じています。
※ちなみに千葉県内の状況としては
 16位 ①うなりくん 成田市 34位 ②きみぴょん 47位③チーバくん
57位 ④カムロちゃん になっています。まだまだ、のびしろがある。




以上 行政と事業者が協力してカムロちゃんを盛りあげる取組みが必要だと
考える佐倉市議会議員 高木大輔の取組みでした。

志津駅北口の八百屋に、自家製の美味しい白菜漬があるとの情報をキャッチしました。




  日々、食品流通業出身として農業の6次産業化を掲げ、活動しています。
佐倉に美味しいものがあると聞けば、現場に出向き、販路の拡大やPRの仕方などの
調査を行っています。今回は、地元 志津駅北口の八百屋に自家製の美味しい白菜漬が
あるとの情報をキャッチしましたので、確認を行いました。
 これからも、農業の6次産業化の研究のため皆さんからの情報をお待ちしております!!

Youtubeに取材の模様をまとめました。 ← クリック

以上 野菜ソムリエ、食品流通業出身として農業の6次産業化に取組む
佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。

四街道の福祉施策をヒャリング ~近隣市としての連携が必要~





佐倉市のお隣の四街道市役所に訪問し、吉本きみこ市議会議員と福祉の問題について意見交換を行いました。
 四街道人口9万人、佐倉市17万8千人と人口の規模は違いますが、施設の定員不足など福祉政策で連携できる事は一緒に取組んでいくべきだと考えました。
また、佐倉市も是非、参考にしたいと思ったのが、市役所の受付がワンストップになっており大変、来庁者の方がわかりやすい受付になっていました。


 訪問の様子をYoutubeにまとめました。 ← クリック


以上 高齢者福祉など様々な問題に取組んでいかなければならないと考えている
佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。

2013年1月25日金曜日

佐倉市美術館に注目!! ルパン三世展&カムロちゃんグッズが充実!

 佐倉市美術館が熱い!! 2月2日~3月24日まで佐倉ゆかりのモンキーパンチ
さんの作品の「ルパン三世展」が開催されます。
 全世界から注目される作品展になるのではないのか?と考えています。
 また、議会で取組んでいる、原付のご当地ナンバーのデザインを私は、市民の皆さん
などとの会話で、ルパン三世とその仲間たちを望む声が多くあるので、是非、市として
検討して頂き、実現して頂くことを願います。
 







 また、美術館内にあるショップ「てのひらごよみ」でカムロちゃんグッズの品揃え
が充実しており、カムロちゃんのゆるキャラグランプリ全国57位(千葉県内4位)
からのキャラクターグッズの充実により飛躍を狙うサポートします。




以上 佐倉市議会議員 高木大輔からのお知らせでした。


第85回選抜高校野球大会出場校決定 ~来年こそ21世紀枠での佐倉から甲子園~

第85回選抜高校野球大会(3月22日から13日間・甲子園)の出場36校を決める選考委員会が開かれ、全36校出場校が決まりました。



 困難な条件を克服するなど戦力以外の特色を加味した佐倉が目指している、21世紀枠は、東日本大震災の津波で学校が被災した、いわき海星(福島)遠軽(北海道)、いわき海星(福島)、益田翔陽(島根)、土佐(高知)が選ばれました。

 一般選考では32校を選出。地区別の出場枠は北海道1、東北4(神宮大会枠1、「東北絆枠」1を含む)、関東・東京6、北信越2、東海3、近畿6、中国3、四国3、九州4になります。

 「佐倉から21世紀枠での甲子園出場校」の取組みをはじめて今年は3年目となり、佐倉市内
の4校が県大会ベスト16、32までレベルがあがって来ており、あと、来年こそは、甲子園出場校
を佐倉から出したいと切に願っています。

以上 頑張れ佐倉球児!! 佐倉市議会議員 高木大輔 の思いを報告しました。

道路問題Youtubeにしました。 ~佐倉停車場千代田線 開通したもの危険が発生!!~



昨年9月3日に開通した佐倉停車場千代田線ですが、開通した事で新たな問題が
発生しています。
 市民の声としては、夜、交差点が暗いため、信号無視や無理に交差点に進入して
くるケースがあるとの連絡を受け、現場を確認して来ました。
 今回もJR佐倉駅北口交差点の様子をYoutubeにアップしました。

 
JR佐倉駅北口交差点の様子をYoutube ← クリック

以上  Youtubeを活用した議員活動を推進する佐倉市議会議員 高木大輔の
活動報告でした。

佐倉の水道・弥勒町の大川水道 ~ 平将門からはじまり戦国、江戸、明治時代、現代まで、様々な意見交換の中で一番響いた事~

 昨日、江戸時代から堀田家を支え守ってきた家臣の方々と食事をする機会が
あり、わたしく高木大輔は、「尾張の野武士」として平将門からはじまり戦国、江戸、
明治時代、現代まで、様々な意見交換を行いました。


現在の弥勒町の大川水道跡地

 そのなかで、今回の一番、市議会議員として市として考えなければいけない事は、
佐倉の水道を築きあげた、大川水道(現在、廃業)を称えるべきだと考えた事です。

 大川水道とは、佐倉市の水道の起源となった私営水道のことです。弥勒町の大川徳治氏が近所の井戸に人が落ちた事件をきっかけに、危険な井戸をなくそうと考え、独力で水道管を敷設して、大正13(1924)年から送水を始めたのが最初だそうです。昭和2(1927)年12月には国の認可を得た私営水道となり、昭和31(1956)年11月に発足した市営水道に移管された時の給水戸数は1千戸ほどだったそうです。ちなみに同年10月の佐倉市の世帯数は7048ということです。
 また、当時の「佐倉の水は、美味しい」と評判だったとの事でした。
(佐倉市史 参照)

 大川水道のあった弥勒町に行きましたが、今は住宅が建ち、大川水道の面影が無くなってい
ました。

 以上  弥勒町に「佐倉市の水道の起源」という記念碑でも建立すべきではないのか?と
考え込んでいる 佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。

年間42万人が訪れる印旛沼周辺観光についてYoutubeに高木大輔の見解をまとめてみました。

議会でも度々、取りあげている年間42万人が訪れる印旛沼周辺観光(ふるさと広場、
佐倉フラワーフェスタ、市民花火大会、歴博、草ぶえの丘、サンセットヒルズなど)の
高木大輔の見解をYoutubeにまとめてみました。

 歴博も年間ピーク時には50万人の来場者が今は10万人と減少、歴女など歴史ブーム
にも関わらず、佐倉としては、事業者として発想が乏しいというか、考えが足りないため
波に乗れていないと考えています。
 この問題こそ、11月議会で質問しましたが、外部からクリエターを雇ってでも戦略的物語
をつくり情報発信して行くべきだと考えます。行政、市内の事業者では発想が限界に来て
いると私は感じています。

 無駄なイベントを開催するのであれば、クリエターを雇って「佐倉観光戦略的物語」を
グランドデザインすべきだと私は提案します。
  情報化時代において、観光は専門化に調査・研究して市内のイベント、すべてにストリー
を持たせてデザイン・ブランド化していくプロ集団に、アドバイザーにして観光行政に参画」
してもらうべきです。

では、印旛沼周辺観光についてYoutube ← クリックしてご覧ください。




以上  印旛沼周辺観光を独自に調査・研究をすすめる高木大輔の活動報告でした。

定住人口の確保に向けて、佐倉市と京成電鉄は協働してまちづくりを見直しするべきだ!!~京成電鉄の乗降客調査 高木だいすけが聴き取り~






 2月の佐倉市議会で取組む「定住人口の確保について」の調査として、私は
「佐倉都民の利便性の向上」佐倉市と京成電鉄の今までの取組みと、現在、
各鉄道会社は駅から文化を発信し「駅なか、駅まち」を実現しています。
 一方で、佐倉市が一日のべ10万にの方が乗降に利用している京成電鉄には
「駅から文化、商業を発信して行こう!!という経営方針が見えてきません。
 京成電鉄の佐倉市民ステークホルダーとしては、これは、利用者としての
電鉄他者と比較した場合、満足感が得られない事になります。
 団塊の世代が一線からリタイヤし表の通り佐倉市内の各駅の利用者の減少
とともに、千葉県内69駅の利用者数が一日あたり約2800人減少しているといった
状況下に京成電鉄も直面しています。
 そんな時だからこそ、「佐倉市と京成電鉄が定住人口の確保に向けて」まちづくり
について、協働して取組む事が、今やるべき「定住人口の確保」だと私は考えます。
 商店会に人を集める事は大変ですが、駅には毎日2万人の乗降客がいる事を
商業、サービスの面で活用する事が、地域の活性化につながると私は考えています。

 また、JR佐倉駅の1日の乗降客数を紹介します。
22年度 10520人 23年度 10422人 98人減少しています。 出典 JRホームページより

以上 駅から文化、サ―ビスを発信すべきだと考える 佐倉市議会議員 高木大輔の
思いでした。

2013年1月23日水曜日

第3回フードドライブ(食品の回収) フードバンクにご協力ください。

日本では年間約2000万トンの食品が廃棄され、その中にはまだ食べられるのに捨てて
しまう「食品ロス」が500~800トンあります。
 私も19年間食品流通の現場で、メーカーが過剰につくり過ぎて処分販売でも売れず、
廃棄する商品は、季節外の定番カットによる廃棄など、流通段階で返品が認められて
いるので、「返品してお金にし、利益を確保する」目的でまだ食べられるのに捨てていた
現場を見て来ました。
 世の中の流れで、流通業界も返品に関しては、マイナスの仕事でもあり生産性が無い
から返品不可のルールが紳士協定として行われかけていました。
 今回は、フードバンクちば、各社会福祉協議会が協力してまだ食べられるを集め、生活に
困窮している方に配布する活動を紹介します。




 以上 私も実際、食品流通マンとして食べ物を経済の論理にあてはめ、まだ、食べれるに売れない
という理由で廃棄していたので、反省しないといけないと考えている高木大輔の活動報告でした。


2013年1月22日火曜日

障害者支援施設見学 ~障害者・高齢者の雇用を考える・段木千葉市議会議員と施設を見学~





 千葉市花見川区にある、障害者支援施設を見学し障害者・高齢者の雇用について
介護問題に取組んでいる段木千葉市議会議員と施設を見学し意見交換を行いました。
 電化製品の解体や農作業をする事で、社会貢献できる仕組み、誰もが社会にチャレンジ
できる環境を今後、調査研究し取組んで参ります。

 障害者支援施設見学Youtube ← クリック

以上 佐倉市議会議員 高木大輔の障害者支援施設を見学しの活動報告でした。

2013年1月21日月曜日

志津ソフトボール連盟役員会 ~会議をYoutubeで編集~議員活動=市民活動=小売店(産業振興) の情報発信の仕方は同じである




志津ソフトボール連盟役員会が行われ、2月17日に開催される総会に向けての
確認と4月からのリーグ戦、6月23日に行う創立35周年式典など話し合いが行われ
ました。
 私は現在、理事として「選手兼ホームページ制作、35周年記念誌発行担当」
業務に取組んでいます。
 現在、連盟で問題として話し合われているのは、①佐倉市内でグランドが確保出来ない
問題、②上座公園のグランドの土が雨などで流れてしまう問題、③現在12チームが所属
していますが、各チーム30~40代の選手不足が毎回問題として話し合われています。
 以上 3つの問題を解決するのが私の役割と認識しており日々、解決策を模索しています。

 私は、はじめソフトボールは女性のスポーツだと思っていましたが、プレーしてみると
体力的にも長く競技でき技術的にも奥が深いスポーツである事に気付きました。
 また、オリンピックの正式協議として再度、認められる様に活動するといったやりがい
もあるスポーツです。

 今回、熱い会議の模様をYoutubeで編集してみました。
また、連盟のホームページもまだまだ、各チームからの情報が集め来ていませんが
制作致しましたので、ごらんください。

 志津ソフトボール連盟 ← ホームページ

 会議の模様 Youtube ←  クリック


以上 議員活動=市民活動=小売店(産業振興) の情報発信の仕方は同じであると
考える佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。

2013年1月20日日曜日

2月23日(土) 千昌夫 がんばろう 東北 チャリティーコンサート


 
 2月23日土曜日 「千昌夫 がんばろう 東北 チャリティーコンサート」 佐倉市民音楽ホール 
にて ①12時から、②15時からの二回公演 行われます。

 今回の企画は、佐倉市社会福祉協議会が中心となって、被災地に義援金を送る目的で
開催されます。

 詳細は上記のチラシを参照してください。


18日に阪神淡路大震災から18年をむかえ、東日本大震災からも3月11日は2年が経過する
事になります。私も何度か現地を訪れましたが、大切なのは、震災の経験を減災につなげる
事と、継続して支援を行う事であると考えています。
 2月から3月にかけて各地で復興関連のイベントが企画されていますが、積極的に参加して
行きたいと思います。

以上 高木大輔からのお知らせでした。

農業の6次産業に向けて ~高木だいすけの思いをYoutubeにしました。~

 19年間食品流通業界(現 三井食品(株))から市議会議員になり、重点施策として
取組みたいのが、「農業の6次産業化」による佐倉市の産業振興です。
 具体的な取組むとしては、地元 志津駅でのイベントで、志津グルメフェスティバル
でのヤマニ味噌を使った料理のレシピ―を募集して取組んでいます。

 今回、日頃から意見交換をしている佐倉新規就農者の会の皆さんに協力して
頂き、「農業の6次産業化」に向けての私の思いイメージをYoutubeにしてみました。
←クリック

 ご覧いただきありがとうございました。

 ご感想お待ちしております。





グランプリのかぼちゃヤマニ味噌スープ


 ヤマニ杯  賜杯とたて


グランプリの佐倉新規就農の会の皆さん


審査の様子
以上 19年のキャリアを、農政にいかしたい佐倉市議会議員 高木大輔の思い、活動報告
でした。

小学4年生の娘が「認知症サポーター認定」 ~佐倉市の取組み~



 佐倉市の取組みとして行っている、「認知症サポーター認定」を小学4年生の娘
が小学校で講義を受け認定証を頂いて来ました。
 小学生から高齢化社会の問題を認識させるには、大変素晴らしい取組みだと
思いました。
 本日は、娘と「認知症について」話しをする機会となりました。
 今後も、娘が社会の中でお年寄りと接する時に参考になると誇らしげに話して
いたのが、嬉しかったです。

以上 市政では、高齢者対策として緊急医療キッドの導入、介護ボランティア制度を
訴えている 佐倉市議会議員 高木大輔からの報告でした。

2013年1月19日土曜日

地元 志津駅南口商店会を盛りあげる目的で、Youtubeを製作しました。~商店会活性化モデルになれば~



地元 志津駅南口商店会を盛りあげる目的で、Youtubeを製作しました。
商店会の活性化が全国的に叫ばれていますが、当事者がやる気になって
頂かないと、国や市、商工団体が唱えていても理念にしか過ぎません。
 
 今回、地元 志津駅南口商店会の情報発信を目的にYoutubeを製作して
みました。
 構想と映像さえあれば、作業時間30分でできます。
 お金を掛けず、商店会活動を行う「商店会活性化 高木モデル」を地元志津駅
周辺商店会に取材して「体系化及び活性化モデル」をマニュアル化する取組みを
今年は取組みます。

一度、30分で仕上げた「志津駅南口商店会活動報告」をご覧ください。


志津駅南口商店会活動 ← クリック( Youtube)が見られます。


以上  佐倉の産業振興・商店会活動の活性化に取組み 佐倉市議会議員 高木大輔
の活動報告でした。

2013年1月18日金曜日

道路の要望を YouTubeにして 担当課に説明 ~ 高木大輔のYouTubeを使った取組み~







 昨年末に、自治会役員から要望がまりました。道路の要望について、YouTubeを使って
関係部署に説明することにしました。
 言葉と写真で説明するよりは、建設的な話しが出来るのでないか?と考えています。

 今後、今回の取組みを評価して頂き、YouTubeを使って市への要望説明に取組んで
行きたいと考えています。


以上 佐倉市議会議員 高木大輔のYouTubeを使ったあらたな提案でした。

2013年1月16日水曜日

民主党千葉県連 千志塾 閉校式 高木だいすけを含む 9名が修了

 民主党千葉県連総務委員として取組んだ、千志塾 開校式が行われ9名が
修了証書が授与されました。
 
講義の企画、運営と取組み、若手世代のリーダーの NPO カタリバ の今村久美 さん
はじめ私が日頃、お世話になっている講師が4名講義を担当して頂き学生にも参加
しやすいプログラムのスクールだったと満足しています。

 今年も何人かは、イメージしているので、総務委員として活動して参ります。
 
 

48歳の夢追い人と記念撮影



感想をかたる


体で表現!!


会場の様子



以上   少し太り気味の民主党 総務委員 高木大輔の活動報告でした、

志津駅北口駅頭活動 ~新登場 高木だいすけ QRコード付き看板~ 

毎週 水・金曜日に おくの総一郎代議士と佐倉市で行っている朝の街頭活動
本日、地元、志津駅で行い200枚に活動報告を配りました。

 民主党の大敗を受け、冷ややかですが、「ザ・民主党」を掲げ流通業界から
すべてを掛け「転職してきた身」としては、民主党という所属会社の経営の危機的
状況なので、しっかりと支え、立て直す事に使命感をもち活動して参ります。

また、新たな取組みとして立て看板の写真に佐倉の秋祭りの風景を取入れ
 HPへの QRコードを付けてみました。

本日の駅頭活動の様子をYoutubeにしてみました。←クリック








北口にある QRコードを付看板


地元志津駅にて

斉藤さんに活動報告を渡す。
以上  議員活動の常識を変える 高木大輔の活動報告でした。

マーケティング理論と経験を就活に!! 流通希望の千葉大女子大生に熱血指導!!

 学生インターンシップを採用するようになり、千葉大生、早稲田大学の学生と交流の
機会が増えています。
 本日は、私が19年間勤務し、常に心がけていたのは「流通業界を極める」をモットー
に日々、日常業務を理論付けて取組んでいた、経験を活かし、流通業界に就職希望
の千葉大女子大生に私が活用していた、図で見るバイブル書を見せながら熱血指導
を致しました。

 私が業界を離れて2年が経過し、大手量販店は、PB(プライベートブランド)の開発
が売上を左右しており、なかなかヒット商品が出ていない市場ではありますが、本日は
昨年のヒット商品の「東洋水産のマルちゃん生麺」を事例として、商品開発、原料調達、
流通などのサプライチェーン・マネジメントや経営の7つのフレームワークを伝授しました。
  
 だてに、経営学科を卒業し19年間、流通マンとして仕事を理論づけていた事が
役だってよかったと思いました。

 今後は、政治家として「行政マーケティング」という領域に取組んでいきたと
考えいます。
 



女子大生に熱血指導!!


教えを受ける女子大生!!

以上 永遠の流通マン 佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。

2013年1月15日火曜日

やっぱり民間!朝日新聞ネット版 「脱原発」44歳官僚、安倍政権に見切り 民間から再起 ~大隈塾の同志の挑戦~


大隈塾 田原総一朗塾頭の誕生日にプレゼントした佐倉の味噌 ヤマニ味噌と!!

今日の朝日新聞のネット版のトップ記事に、早稲田大学大隈塾(田原総一朗塾頭)フェロー
の一員の伊原さんの挑戦が紹介されていました。
 実力のある人は、どこにいっても仕事ができる、「志があれば、理想の社会の実現に
向けて突進んでいく!!」んだなぁ~と感心してしまいました。
 私も民間から議員に挑戦し、民間で培った経験・人脈を市政や民主党の組織で活かし
たいと常に考えていますが、まだまだ、出来ていません!!
 同じ大隈塾フェローの資格をもちながら私とはステージが違い過ぎますが、伊原さんに負けないように、私の身の丈にあった身近な問題解決に向けて取組んでいきます。

以下 朝日新聞ネット版の記事より 出典


「脱原発」 44歳官僚、安倍政権に見切り 民間から再起
 【榊原謙、藤崎麻里】
 「脱原発」をめざした一人の官僚が14日、霞が関を去った。「2030年代の原発ゼロ」という野田政権の戦略づくりを担ったが、この戦略を安倍内閣は見直すとみられる。政府での仕事に区切りをつけ、今後は民間の立場から新エネルギーの普及にかかわっていく。
 14日付で内閣官房企画調整官を退官した伊原智人(ともひと)さん(44)。もともとは経済産業省の官僚だった。電力改革に携わっていたが、電力業界の閉鎖性を痛感し、05年に霞が関を離れてリクルートへ転職していた。
 転機は11年6月。福島原発事故をうけ、民主党政権は電力行政の転換を狙い、実務スタッフを公募していた。「変えるなら今しかない」と、政府に戻った。
 民主党政権は脱原発を柱にしたエネルギー戦略のとりまとめを急いでいた。国の調査で、国民の多くが「原発ゼロ」を望んでいた。
 同僚ら数人と戦略の「ドラフト(草稿)チーム」に選ばれた。昨夏は「息子とのキャンプの約束を2回キャンセル」しながら、休みなく草稿を書き、抵抗する各省庁との調整に走り回った。そして9月、「30年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」とうたった「革新的エネルギー・環境戦略」が完成した。
 だが、12月の総選挙では、原発ゼロを「無責任」と批判する自民党が圧勝した。安倍政権は革新戦略を見直すとみられ、原発の新増設も否定していない。政策が変わればスタッフも交代すべきだとの持論もあり、政策の転換を見届け、退職を決めた。
 15日に、新エネルギー技術を育て、国内外での実用化をめざすベンチャー企業に入る。「省エネや再生可能エネルギーの拡大を国内外で強力に推進する」。革新戦略に入れたこだわりの一文だ。「自分が書いたことを、今度は実行していく番です」と話す。

以上 大隈塾フェローの仲間に負けないように活動しないといけないと痛感した
佐倉市議会議員 高木大輔 の思いでした。

 

佐倉に誕生した、ビジュアル系議員 「二人の西田(にしだ)!!」

 昨日の佐倉市成人式の来賓控え室で、ある事実に気付きました。
政治生活22年を迎える、「佐倉愛溢れる元気印の西田(にしだ)三十五 県会議員
と、12月の衆議院選挙で千葉九区で当選させた、元・千葉県議会議員・日本維新の会の
西田譲 衆議院議員が誕生し、佐倉には二名の対照的なキャラクターの政治家が
誕生した事に気付きました。

 また、西田三十五県議は、佐倉40代の議員の親方なので、超党派で連携して佐倉を
盛りあげていきます。

  佐倉の発展のために、「二人の西田」に注目して、私も二人に政策、キャラクター
ビジュアルでも負けないように日頃の活動に取組んで参ります。



西田三十五 県会議員と


以上 西田という政治家が二人になった事に、気付いた 佐倉市議会議員 高木大輔
の気づきでした。

お笑い芸人の飲み会「竜兵会」に対抗し、政治・文化人の食事会「大輔の会」を設立!!

お笑い芸人の飲み会「竜兵会」に対抗して、政治・文化人の食事会「大輔の会」を設立!!
する事にしました。


「竜兵会の設立の背景とは」

 大阪で活動していた千原兄弟が東京に進出するにあたって、当時ジャックナイフというあだ名だった千原ジュニアについて、「スベった芸人はジュニアにナイフで刺される」という噂が東京の芸人の間で広がり、その対策を考えるべく上島を中心に東京の芸人が結集したのが竜兵会を結成するきっかけだと、今田耕司は語っている。ただし本人達は否定している[1]。現在は普通の飲み会になっている。
会は古くは「竜神会」と称していたが、暴力団から太田プロにクレームが来たため改名[1]。飲み会参加メンバーの間では、上島は泥酔すると数々の奇行や名言を連発することから「太陽さま」と呼ばれていて(劇団ひとり命名)、この飲み会にまつわるネタだけを紹介するイベントが度々開催されている。

「大輔の会」は、若手政治家、芸術家との交流会のプラットホームの役割を果たして行きます。

以上 社会で活躍する若手の育成に取組む 高木大輔の活動報告でした。