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2014年6月6日金曜日

6月25日は伝説の天覧試合  プロ野球が佐倉・臼井出身の長嶋茂雄が輝きを放ち始めた日 ~昭和34年(1959年)6月25日 で読売ジャイアンツ(巨人)対大阪タイガース(阪神)~

 夏の高校野球の予選会の時期が来ました。佐倉から甲子園の取組みの中で、ふと、長嶋茂雄さんの功績を考えていたら、昭和34年(1959年)6月25日 で読売ジャイアンツ(巨人)対大阪タイガース(阪神)の伝説の天覧試合を思い出し記事にしたいと思いました。天覧試合Youtube




 天覧試合の詳細です。

 昭和34年(1959年)6月25日、後楽園球場で読売ジャイアンツ(巨人)対大阪タイガース(阪神)第11回戦、いわゆる「伝統の一戦」が天覧試合として催された。昭和天皇・香淳皇后が後楽園球場のバックネット裏貴賓席に来場し、19時より試合は開始された。この模様は日本テレビ(解説・南村侑広、実況・越智正典)とNHK総合テレビ(解説・小西得郎、実況・志村正順)にて全国生中継が行われた。当日は、関係者は皆緊張しており、例えば、水原円裕巨人監督も朝2度身を清め、口数も少なかったという。また、当日の後楽園球場では鳴り物応援が禁止されており、球場の雰囲気も普段に比べとても静かであった。
先発投手は巨人が藤田元司、阪神が小山正明とエース同士の対決であった。試合前には両チームの監督・コーチ・選手全員が内野付近に一列で整列し、貴賓席に現れた両陛下に一礼をしてから試合が始まった。
試合は点の取り合いとなり、3回表・阪神が小山自らの適時打で先制点を挙げる。その後5回裏・巨人が長嶋茂雄と坂崎一彦の連続本塁打で逆転すると、6回表・阪神が三宅秀史の適時打と藤本勝巳の本塁打で4 - 2と逆転する。
7回裏・巨人は王貞治の本塁打(4 - 4)で同点に追いつき、阪神は新人・村山実をマウンドに送る。同点のまま9回に入った時には21時を過ぎていたが、天皇・皇后が野球観戦できる時間は21時15分までであったため、延長戦に突入した場合は天皇は試合結果を見届けられず、途中退席になる可能性があった。
しかし、21時12分、9回裏、先頭バッターの長嶋がレフトポールぎりぎりに入るサヨナラ本塁打を放ち、(5 - 4)で接戦に終止符を打った。長嶋はこの試合を選手としてもっとも印象的な試合としている。
 天皇・皇后は試合結果を見届けた上で、球場を後にした。天皇の観戦は、卑しい職業野球と揶揄されたところから始まったプロ野球が日本を代表する人気プロスポーツとしての地位を得たことを示す契機といえるだろう。

以上 長嶋茂雄さんを輩出した佐倉。佐倉から甲子園、肝いりで取組むべきだと思います。

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