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2014年7月31日木曜日

第96回全国高等学校野球選手権大会 見どころは?? 愛知・東邦高校と岐阜・大垣日大を指揮する坂口慶三先生

第96回全国高等学校野球選手権大会の出場49校が決まりました。私が注目したいのは愛知・東邦高校岐阜・大垣日大です。現在の大垣日大の監督は、前愛知・東邦高校の坂口慶三先生です。私の高校時代を過ごした愛知県では、高校3年生の時、東邦高校が選抜で全国優勝し、第71回全国高等学校野球選手権大会愛知県大会も優勝し甲子園に出場しました。私にとって高校時代、東邦高校の坂口慶三先生は名将であり絶対的な高校野球の指導者でした。その坂口先生が築きあげた二校の高校がどんな野球をするのか、見守りたいと思います。叶うのなら決勝で[東邦高校 対 大垣日大]の試合が見てみたいです。また、この夏の大会でも実証しましたが東邦高校は必ず1年生がラッキーボーイという伝統が生きています。


以上 愛知・東邦高校に思い入れがある高木だいすけからのお知らせでした。

2014年7月29日火曜日

伝説の試合が誕生!!またもや、星稜高校!!~石川県大会決勝 星稜高校 対 小松大谷~

星稜高校といえば、1979年8月16日に阪神甲子園球場で行われた第61回全国高等学校野球選手権大会の3回戦、甲子園延長18回の死闘、箕島 対 星稜高校山際淳司さんにより「8月のカクテル光線」として小説にもなっているとします。そして、記憶に新しいのが、1992年8月16日に阪神甲子園球場で行われた第74回全国高等学校野球選手権大会2回戦の明徳義塾高校(高知)対星稜高校(石川)戦の松井秀喜の4連続四球。今回、またもや、第96回全国高校野球選手権石川大会の決勝が7月27日、石川県立野球場であり、星稜が9回裏、8点差をひっくり返して小松大谷に9―8で大逆転しました。この試合のドラマは試合にまけた、小松大谷のメンバーが「人生において大きな十字架を背負ったことになり、どのような人生を歩んでいくか??」興味深いと思っています。この事実をはねのけていくか??引きずっていくか??学校としても心のケアが必要だと、野球人として私は考えます。また、甲子園では8月16日に伝説の試合が何試合も行われています。今年の8月16日にはどんなドラマが行われるか??楽しみにしています。

「8・16現象」の試合は以下の通り。
※銚子商-作新学院
73年2回戦:作新学院・江川投手が延長戦サヨナラ押し出しで敗戦
※箕島-星稜
79年3回戦:延長18回の死闘の末、箕島がサヨナラ勝ち
※明徳義塾-星稜
92年2回戦:星稜・松井が5打席連続敬遠
※豊田大谷-宇部商
98年2回戦:宇部商・藤田投手が延長15回サヨナラボークで涙

以上 

 佐倉市議会で提案しましたが、長嶋茂雄記念岩名球場の活用として、松井秀喜氏の母校、星稜高校を招待し佐倉高校、もしくは、甲子園出場校の今年度なら東海望洋高校の試合を企画するなど、夏の高校野球の公式戦を検討するより、夢のある企画を佐倉市として長嶋茂雄記念岩名球場活用を検討してもらいたいものです。




以上 高木だいすけの活動報告でした。

2014年7月27日日曜日

2011年3月11日14時46分の地震発生場所を訪ねて!!千葉市若葉区千城台

2011年3月11日14時46分に居た場所。千葉市若葉区千城台に行ってみました。当時は、市議会選挙立候補の為、3月31日の退社を控え、得意先の引継ぎ、商品のヒット商品となった桃屋の食べるラー油の手配に追われていました。当日は、長年、千葉の市場で市場開拓に取組んだ日清オイリオの東京次期支店長と同行し若葉区千城台のスーパーに営業に行き、都賀駅に向かう途中、下記の地点で地震にあいました。千葉モノレールの下で目の前には鉄塔があり、もし崩れたらどうしょう??と思いなから車を側道に停めました。本日、あらためて現地に行き当時のことを思いだし、震災対策の取組み強化と震災から3年半が経過し耐震対策などどの様に推進されたのか?考える機会となりました。



以上 高木だいすけの活動報告でした。

2014年7月26日土曜日

食のまちづくり・企業訪問!!~商社との農商工連携を探る!!三井食品(株)~

「商社との農商工連携で、佐倉をはじめ全国の農産物を使った商品開発ができないか?」と考え、出身会社となる三井食品(株)に伺い、サラリーマン時代の商品開発部の直属の先輩に意見交換に伺いました。政府は「地域創生」を打ち出していますが、農業の6次産業化など本腰を入れるには、大手商社の力を借りるべきだと私は考えます。一次産業の農家や水産業から物事をはじめるのではなく、2次・3次産業から農業の6次産業化、農商工連携を考えて行くべきだと考えます。今後とも、商社との農商工連携が民間レベルでできないか??調査して参ります



以上 食のまちづくりに取組む高木だいすけの取組むでした。

食のまちづくり・企業訪問!!~千葉若葉区 生鮮小売市場 千城~

 サラリーマン時代に担当していた、千葉市若葉区のに伺いました。若葉区生鮮小売市場 千城における老舗スーパーの状況について、増税後の消費状況について店長にヒャリングさせて頂きました。食品の消費税については、検討すべきだと考えますが、引き続き調査して参ります。




以上 高木だいすけの活動報告でした。

食のまちづくり・一店逸品運動!!

 佐倉商工会議所の一員として「一店逸品運動による地域商業活性化」セミナーに参加しました。個人店舗の来店客数の増加対策、来たくなる店づくりなど全国的な商業者の問題に対して、食のまちづくりの取組みとして結果を出して参ります。また、現在、佐倉逸品倶楽部のホームページを構築しています。←クリック



以上 食のまちづくりの取組みでした。

食のまちづくり・企業訪問!!~ボランタリーチェーン本部 千葉セルコ~

千葉県におけるスーパーマーケットの状況について、サラリーマン時代に担当したボランタリーチェーン本部千葉セルコさんに伺い情報収集!!食品流通業界は減り続ける胃袋に対して大手の出店!!消費税増税後の生活必需品の消費動向は厳しい状況が続いています。


以上 高木だいすけの活動報告でした。

成田参道の夜 ~佐倉と成田などの近隣市との連携を考える!!~

成田の事業者の方が、私の取組む「食」のまちづくりや食品流通業界のカラクリについて話しを聞ませてほしいという事で、夜の成田参道のとあるバーで熱弁を振るいました。今回の件も踏まえ、私は産業振興部に関することは、佐倉市だけでは無く、近隣市(船橋・習志野・八千代・酒々井・成田)との連携しシナジー効果を模索するげきだと考えます。なかなか、行政単位では実現は難しいと思いますが、私は将来を見据えて、国道296号沿線沿いの近隣市(船橋・習志野・八千代・酒々井・成田)の事業者・議員に会いに行き意見交換をすすめて参ります。



以上 近隣市とのシナジー効果を模索するげきだと考える高木だいすけの取組みでした。

第96回全国高等学校野球選手権千葉大会優勝は東海大望洋!! ~松戸から甲子園、48万人の夢、また、また破れる!!~

 全国高等学校野球選手権大会千葉県大会。東海大望洋(市原市)が13-2で勝利し優勝しました。今年は東海大グループが巨人の原監督の父、原総監督が亡くなったのが精神的な支えになっているのか?全国的に活躍が目立っています。また、負けた専大松戸。松戸市のチームはここ数年、夏だけ勝てない!!佐倉から甲子園と取組みは一部の有志の小さな取組みですが、松戸市は市、議会、48万人の市民をあげて取組んでいます。また、人口40万人以上の都市は全国に48ある(東京23区を除く)。そのうち春夏甲子園出場校を出していないのは、松戸市(48万5962人)を含め、八王子市(56万3482人)、横須賀市(42万1037人)の3市だけ。リトル、シニアなど野球環境は充実しているが、東京に隣接しているため、有望選手が流出する時期が続いています。実際に、専大松戸や松戸国際高校は夏の大会以外は常に、千葉県大会で上位の成績をあげ、21世紀枠の千葉県の候補になっています。しかし、あと一歩のところで甲子園に届きません!!いづれにしても松戸市は近い将来、甲子園に出場する流れは出来ています。来年は甲子園に行くことを期待します。一方、佐倉は今の体制では、甲子園には行く事はできません!!可能性があるなら佐倉高校がコンスタントに千葉県でベスト8以上の成績をあげれば「長嶋茂雄枠での甲子園21世紀枠」の可能性があると思いますが、本当に佐倉市、県の教育委員会が動かないと佐倉の高等学校の教育向上は望めません!!今後、高等教育の向上に向けて調査研究をすすめます。人口40万人以上の結果の都市は、西東京の八王子高校もベスト4、横須賀市の湘南学院ベスト8でした。




以上 佐倉の高等学校の教育向上について取組む高木だいすけの取組む宣言でした。

第96回全国高等学校野球選手権千葉大会の佐倉4校の敗退を受けて!!

 第96回全国高等学校野球選手権千葉大会の佐倉4校の敗退を受けて高校野球関係者と「佐倉から甲子園」に向けて今度、どのような取り組めばいいか?意見交換しました。今の佐倉の4校の体制では「佐倉から甲子園は不可能です。」本気で佐倉から甲子園をはじめ佐倉市内の高校のレベルをあげるには、県の教育委員会と佐倉の教育について話し合うしかないと考えます。この佐倉市内の高校に対する秘策については、平成26年9月議会で私の提案として議場で提案します。





以上 高木だいすけの活動報告でした。

民主党千葉県連地方議員団会議 ~地方議員としてのマニフェストを提案~

民主党千葉県連地方議員団会議で、民主党の地方議員として取組むべき政策について提案させて頂きました。「生活者に寄り添うのが民主党!!」だと私は考え、民主党議員として活動しています。千葉県連として取組むべき課題は「福祉」がテーマだと考え、私は「実用的なオストメイトなどの福祉トイレについて」取組む事を提案いたしました。私自身、議会で取組み、取組みをホームページにして情報公開していますので、是非、参考にして頂きたいと思います。






以上 高木だいすけの活動報告でした。

井野小学校の隣に厳島神社発見!!井野本村(旧村)「弁天様」

井野小学校の隣に厳島神社発見しました。そこで、地元の郷土史家さんにいわれについてお聞きしました。「井野本村(旧村)では「弁天様」と呼ばれていました。山万が入ってきて、きれいにしたものですが、昔は水も湧き出て、今のユーカリの方に有った田にも水を引いたのだそうです。勿論樹木も鬱蒼としていました。上高野の工業団地が出来始めてから、水が干上がって行ったと、30年近く前におられたお年寄り達に伺っています。地下水をどんどん汲み上げたようですね。8月に入って村中で先ず弁天様の掃除をし、その足で千手院に移動して掃除をしたものです。」とのことでした。




以上 高木だいすけの活動報告でした。

奥野総一郎 朝食勉強会に千葉9区三銃士が受付!!

元衆議院議員の鈴木宗男氏を講師に奥野総一郎 朝食勉強会が行われました。なぜ??鈴木宗男なのか??疑問もありましたが、講演を聞いて、鈴木宗男氏の政治家としての信念、生命力の強さを知る機会となりました。色々な話しを聞くことができましたが、一番印象に残ったことは、鈴木宗男氏が「なぜ??政治家になった時からアフリカ・ロシアに目を向かたか??」今になればエネルギー問題につながることが理解できました。今回、奥野総一郎 朝食勉強会に千葉9区三銃士(麻生千葉市議鈴木陽介四街道市議)が受付をしました。




以上  高木だいすけの活動報告でした。

調整池の活用を考える!!~平成26年9月議会に向けて~

まちをつくる時に、集中豪雨などの局地的な出水により、河川の流下能力を超過する可能性のある洪水を河川に入る前に一時的に溜める池として調整池を設置しないといけません。この調整池を市民の憩いの場や広場、自然観察や野鳥観察など活用できないか??全国の先進事例を調査しています。特に、住宅地の調整池は夏場は虫の害などが発生するケースもあるので上手く共生できないか??佐倉市内で60ヶ所ある調整池について9月議会に向けて調査して参ります。




以上 高木だいすけの活動報告です。

四街道小学生チームソフトボールクラブ 千葉県代表として全国大会出場!! 四街道市のサポートを探る!!

 四街道ソフトボールクラブが千葉県の代表として滋賀で行われる全国大会に出場します!!四街道は成人のソフトボールも強く、高校も千葉敬愛高校も全国レベルです。今回、私が注目したのは
6月議会で取組んだ、佐倉市を代表するチームのユニホームの新調や全国大会の市を代表して参加する場合のサポートが必要だと提案しました。今回、四街道ソフトボールクラブが千葉県の代表として滋賀で行われる全国大会に出場にあたっての市としてのサポート体制は、1団体上限15万の補助金のみで、今回のユニフォームは市内在住の歌手がチャリティショーをやって集めたカンパで新調したそうです。佐倉市も様々な工夫が必要だと思いました。





以上 高木だいすけの活動報告でした。

JR佐倉駅とともに、JR四街道駅 開業120周年!! ~駅とともに発展~

 今年でJR佐倉駅とともに開業120年を迎えるJR四街道駅。これを記念して開業当時の様子を写した写真などの展示会が市の文化センターで開かれました。イベントでは展示会のほか、44年前、四街道駅前に置かれていた丸型郵便ポストの除幕式も行われました。実行委員会によると、総武鉄道(現総武本線)の市川|佐倉駅間が1894年7月20日に開通後、四街道駅が同年12月に開業。今年で開業120周年を迎えることから、市民有志らが記念展(12月13~23日)開催に向けた準備を進めています。佐倉市の隣の四街道市。佐倉市の今後のまちづくりの取組みには近隣市との連携なしでは発展はないので佐倉市としても四街道の節目の行事にも連携すべきだと考えます。





以上 高木だいすけからのJR佐倉駅とともに、JR四街道駅 開業120周年のお知らせでした。

2014年7月20日日曜日

千葉県中小企業家同友会佐倉支部例会 7月定例会

事業者として所属している千葉県中小企業家同友会佐倉支部7月定例会に参加しました。今回の定例会では、メンバーが新規事業をはじめたことに対して、メンバーとしてできる事、販売チャネルについて意見交換致しました。モノが飽和している時代にモノを売る難しさ。私もサラリーマン時代からモノを売ることを仕事にしてきましたが、年々モノを売る事が難しくなってきている事を感じました。しかし、商品コンセプトがしっかりしており、本物であれば、ソーシャルメディアの活用などやり方次第では、可能性があると感じています。



以上 高木だいすけの活動報告でした。

ベーゴマがブーム!!佐倉市にベーゴマを流行らせようと臼井の飲食店さんが取組んでいます。

佐倉市にベーゴマを流行らせようと臼井の飲食店さんが取組んでいます。お隣の八千代市では行政も注目していると聞いています。東京スカイツリー周辺でもベーゴマが流行っているとの事です。昔の遊びのベーゴマを佐倉で浸透する様に私自身もベーゴマについて他市の取組み等、調査して参ります 。


                                 



以上 高木だいすけの活動報告でした。

知らなかった、天下を動かした日本一の武辺者と呼ばれた名将 清水宗治!!とは??

 私は「もし、1582年天正10年6月2日の本能寺の変がなかったら、日本はどうなっていたのだろ??」織田信長の好奇心、当時の武将では理解ができないグローバルな視点。結果的に織田信長は、私の理解では、「出る杭は打たれる!!」といった理由で明智光秀に討たれます。私は子どもの頃から、明智光秀と、のちに関ヶ原の戦いで西軍の大将となる石田三成に興味をもっていました。しかし、最近、本能寺の変を詳しく調べたら、興味深い武士を見つけたので、紹介したいと思います。天下を動かした日本一の武辺者と呼ばれた名将 清水宗治!!とは??
清水 宗治(しみず むねはる、天文6年(1537年) - 天正10年6月4日(1582年6月23日))は、戦国時代の武将。備中国高松城主。通称は長左衛門。三村氏、毛利氏に仕えた。清水宗則の子。三村氏の有力配下・石川久智の娘婿となり、子供に宗之、景治、兄に宗知(月清入道)がいる。天文6年(1537年)、備中国賀陽郡清水村(現在の岡山県総社市井手)に生まれる(誕生月日は不詳)。幼名は才太郎といった。備中国の一豪族の家臣の身分で備中清水城の城主を務め、のちに高松城の城主となる。この経緯については諸説あるが、一般的には天正の備中兵乱の際、三村氏譜代・石川氏の娘婿・重臣の立場にでありながら毛利氏に加担し、高松城主の地位を得たとされる。この備中兵乱は文字通り備中一円を舞台とした三村氏対毛利氏の一大戦で、三村氏家臣の立場でありながら毛利方についた者は他にもおり、状況判断の問題であった(三村親成など三村姓を名乗る三村一門でさえ、毛利方についた者がいる)。また、永禄8年(1565年)に三村氏譜代の石川氏を裏切って高松城を奪取し、直接毛利氏に臣従して城主となったとの説もあるが、当時の毛利氏は備中を三村氏に任せる間接支配の体制を採っていたため、この説は信じ難い(備中方の資料にあたっても挙証に足るものはない)。いずれにせよ、毛利氏の家臣となって以後は小早川隆景の配下として毛利氏の中国地方の平定に従軍し、忠誠心厚く精励し、隆景をはじめとする毛利氏の首脳陣から深く信頼された。
天正10年(1582年)、統一政策を進める織田信長の家臣・羽柴秀吉が中国攻めを行うと、宗治は高松城に籠城して抗戦する。秀吉は降伏すれば備中国を与えるという条件を出したが、宗治は応じなかったと言われている。そのため、黒田孝高が策した水攻めにあって城は落城寸前に追い込まれる。この水攻めの最中の6月2日に京都で本能寺の変が起こって信長が死去し、その報を知った秀吉は宗治の命を条件に城兵を助命する講和を呼びかけた。宗治は信長の死を知らぬまま、その2日後に兄の月清入道や家臣2人らとともに水上の舟において切腹した[1]。享年46[1]。
墓所は山口県光市の清鏡寺にある。
辞世の句
「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」
人物像
毛利家からは忠臣として厚い信任を受けた。高松城攻防戦の際、信長の本隊が到達したら勝機無く毛利家は滅びる可能性があったため、毛利家首脳部は領土の大幅譲渡はやむを得ないとしても宗治の切腹は応じられないと拒否していた。それだけ毛利家から能力や忠義が評価されていた武将だった事が伺える[2]。
切腹について
戦国時代以前の武士道において、切腹の作法は確立していなかった。切腹の例はあったが、単なる自殺の手段のひとつであった。無念のあまり行う「無念腹」のように、内臓を引きずり出すなど、その凄惨ぶりを披露する場合もあった。
また、戦において捕らえられた高い身分の武士も、大抵は首を刎ねるのが普通であり、切腹させるといった習慣は無かった。場合によっては磔にする事もあった。
切腹の作法が変化する転機となったのは、この宗治の切腹からであった。水上に舟を漕ぎ出し、そして切腹の前にひとさし舞ったのち、潔く腹を切り、介錯人に首を刎ねられた宗治の作法は見事であるとして、それを実際に見た武士達の賞賛を受けた。秀吉は信長の敵討ちのために一刻も早く京へと戻りたいところであったが、「名将・宗治の最期を見届けるまでは」と陣から一歩も動かなかったといわれている。また、後に隆景に会った秀吉は「宗治は武士の鑑であった」と絶賛したという。これ以降、武士にとって切腹は名誉ある死という認識が広まり、また刑罰としても切腹を命じる習慣が広まった。後に秀吉は、豊臣秀次、千利休らを処罰するにあたって、切腹を命じている。


以上 高木だいすけの活動報告でした。

佐倉産にんにくをブランドに!!生産から加工まで完了!!

 私が勝手にブランド化しょうとしている佐倉産にんにくブランド「佐倉わさび」の取組みですが、佐倉市内の農家からにんにくを調達し加工業者に持ち込み二次加工するためにピューレ状にするところまでこぎつけました。今後は商品にする際、安定的に使用できるか??研究してもらいます。にんにくは調味料であればほとんど使用されており、佐倉の農産物の「やまといも」より可能性が拡がります。今後は、食のまちづくりの取組みとして佐倉産にんにくの生産から加工、商品化まで一貫して管理し佐倉の農業、商業が盛り上がるように、食品流通業の経験を活かし、勝手に取組んで参ります。目指すは佐倉市非公認農作物「佐倉わさび」です!!






以上 食のまちづくりに取組む高木だいすけの活動報告でした。

佐倉新町に「佐倉の草刈〇お」現る!!

佐倉城下町のど真中にある空き地の草がおいしげっているとの通報をうけ、「佐倉の草刈〇お」が愛車の軽トラで登場しました!!草刈については、誰がやるのか??という問題がありますが、公共的な場所で佐倉市として観光地である佐倉新町に訪れる方に対しての「おもてなし」を考えると一刻を争う事だと考えて草刈に「佐倉の草刈〇お」が行ったと思います。今後もこの様なケースがあれば「佐倉の草刈〇お」は現場に駆けつけます!!







以上 「佐倉の草刈〇お」の目撃情報でした!!