印旛沼を開拓した吉植 庄一郎!! |
佐倉市は、観光政策の施策としてふるさと広場を四季を通じ花で観光客を
呼びこむ佐倉フラワーフェスティバルを開催しています。
10月20日 土曜日 印旛沼・佐倉ふるさと広場はコスモスまつり&第10回印旛沼流域
環境・体験フェア&Eボート大会とおおいににぎわいました。
天気にも恵まれ、盛りあがりました。
ところで、吉植庄一郎 氏をご存じですか?息子の吉植 庄亮 氏は話題になりますが・・。
佐倉の政治家と言えば、私の主観ですが、現在代表されるのは、蕨和雄・奥野総一郎
西田三十五・大野ひろみさんが代表されますが、歴史をさかのぼれば、初代 佐倉市長
木倉和一郎 氏 と印旛沼の発展に寄与した吉植庄一郎 氏だと思っています。
佐倉市も印旛沼をかたる時、吉植庄一郎 氏が明治時代、水との戦いを政治家として
救ってくれた実行力一度、学ぶ機会を、佐倉学などで検討することを提案します。
リンク
コスモスまつり |
第10回印旛沼流域環境・体験フェア
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ゆうなみ&うささき が印旛沼ソングを披露!! |
印旛沼観光というわりには、皆さんで考えましょう。 |
観光を打ち出していて、トイレは360℃の大パノラマ!!
改善しなきゃいけません!!必要なのは、おもてなしのこころ!!
観光には、トイレの対策も必要!!
11月議会で取組みます!!
1884年、千葉県印旛郡で生まれる。1893年に父の庄一郎が開墾のために北竜村に移住したため別居し、祖父の庄之輔の元で育てられた[1]。第一高等学校を経て東京帝国大学法科大学経済学科を1916年に卒業後、父の経営する中央新聞に入社して新聞記者となる。また1906年に金子薫園に師事して歌人となり、1922年に雑誌『橄欖』を創刊。庄之輔が逝去した後は祖母とともに印旛郡で数年間を過ごし[1]、1925年から10年間で印旛沼周辺に60町歩(595,041m2)の土地を開墾し[2]、1941年の『開墾』などでこれを歌に詠んでいる。当時としては画期的な大型トラクター導入による農業の機械化や有畜農業を進めた[1]。
1936年の衆議院選挙に立憲政友会から出馬し、当選して衆議院議員となる。戦後公職追放を受け、農地改革により所有する農園を失った。1949年には農村を現地視察したカール・シャウプを案内し、シャウプ勧告に実情が反映されたという[3]。その後、印旛沼・手賀沼の土地改良区設立運動に携わった[1]。1951年に追放解除を受け、1958年12月7日に食道癌のため関東逓信病院で逝去[4]。正五位三等瑞宝章が追贈された。1973年には、郷土を代表する歌人として千葉県文化会館に歌碑が建立された[5]。
以上 佐倉市議会議員 高木大輔 の印旛沼及び佐倉の政治家に対する思いでした。
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