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2013年1月6日日曜日

嘉永6年(1853年)6月3日 ペリー浦賀に来航 ~そのころ志津村では~

今日から大河ドラマ「八重の桜 会津藩 ~ならぬものはならぬことです~」がはじまった、佐倉藩ともゆかりのある幕末の志士たちが多くドラマに登場します。年末、年始にはりついていた、佐倉市市民文化資産に選定された上志津八幡神社に嘉永6年(1853年)6月3日にペリー浦賀が来航と同じくしてに奉納された水飲み場の刻印があるのを思い出したので記事にしました。


嘉永6年4月吉日



嘉永6年6月3日に浦賀にペリーが来航しました。
私の推測ですが、現在と同じように世の中が不安定で揺れており、ペリーが来航する
その2か月前に、当時の志津村では泰平の世を願い八幡神社に奉納されたのでは
ないのか?と思いを巡らせました。
 
志津には佐倉のような武家の文化はありませんが、庶民の営み文化がある事を
昨年取組んだ市民文化資産と取組みと、上志津八幡神社に年末、年始にはりついていた、
結果、肌で実感できた気がしました。

以上 尾張の人間が佐倉・志津の人間に、また、一歩近づいた気がした 尾張の足軽 佐倉市議会議員 高木大輔の思いでした。

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