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2013年1月25日金曜日

佐倉の水道・弥勒町の大川水道 ~ 平将門からはじまり戦国、江戸、明治時代、現代まで、様々な意見交換の中で一番響いた事~

 昨日、江戸時代から堀田家を支え守ってきた家臣の方々と食事をする機会が
あり、わたしく高木大輔は、「尾張の野武士」として平将門からはじまり戦国、江戸、
明治時代、現代まで、様々な意見交換を行いました。


現在の弥勒町の大川水道跡地

 そのなかで、今回の一番、市議会議員として市として考えなければいけない事は、
佐倉の水道を築きあげた、大川水道(現在、廃業)を称えるべきだと考えた事です。

 大川水道とは、佐倉市の水道の起源となった私営水道のことです。弥勒町の大川徳治氏が近所の井戸に人が落ちた事件をきっかけに、危険な井戸をなくそうと考え、独力で水道管を敷設して、大正13(1924)年から送水を始めたのが最初だそうです。昭和2(1927)年12月には国の認可を得た私営水道となり、昭和31(1956)年11月に発足した市営水道に移管された時の給水戸数は1千戸ほどだったそうです。ちなみに同年10月の佐倉市の世帯数は7048ということです。
 また、当時の「佐倉の水は、美味しい」と評判だったとの事でした。
(佐倉市史 参照)

 大川水道のあった弥勒町に行きましたが、今は住宅が建ち、大川水道の面影が無くなってい
ました。

 以上  弥勒町に「佐倉市の水道の起源」という記念碑でも建立すべきではないのか?と
考え込んでいる 佐倉市議会議員 高木大輔の活動報告でした。

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